2009-01-01から1年間の記事一覧
「哲學」と「態度」が、七鍵氏は一貫しない。七鍵氏は支離滅裂だ。七鍵氏はをかしい。 七鍵氏が怒つてゐる事それ自體が、私には理解出來ない。結果を他人が判斷するものであると言つてゐるのに、七鍵氏はなぜか意地になつて自分自身の判斷を他人に押附けよう…
先づ一言言はせて貰ふ。私は自分の利なんかの爲に、七鍵氏を批判してゐない。七鍵氏は人は利の爲に云々と「哲學」を語つてゐるが、事實の前に「哲學」は沈默しなければならない。 金曜日、記事を書いた所爲で私は損害を蒙つた。だから七鍵氏は嘘を吐いてゐる…
菊正宗? http://www.7key.jp/diary/list/2009_10b_18_02 ちなみに最近、菊正宗のCMソングの歌ひ手がジェロに變つてる。 http://www.youtube.com/watch?v=-6TD-kZu6mk
葦津氏は、「政治と暴力」の切離し難い事、「政治的信條といふものの根柢には、テロへ走る本質の潜在する」事を指摘し、「信條と信條との對決が、高度の緊張を呈する時には」テロリズムの發生が避けられない事を述べてゐるが、結論部で、さうしたテロの慘劇…
私は七鍵氏を名指しで叩く。それは七鍵氏が默認してゐる事だからだ。 なぜ叩くか。七鍵氏が、保身の爲に、人間と云ふ存在を無闇に貶めてゐる事が許せないからだ。人間は自分の利益の爲だけに生きてゐるのではない。自分を越えた理想の爲に生きる事もある。七…
「議論をする為に、相手を認めなければならない」——七鍵氏は、こんな単純な事を認めたがらない。「相手を認めたくないから、議論をしない」、七鍵氏はさう言ふのだ。傲慢にもほどがある。 --- 「他人を悪者にすれば自分は善人になれる」理論。七鍵氏の「哲学…
他者を批判をするとは、他者の價値觀それ自體を搖さぶる事だ。價値觀は全て論理的だから、價値觀を搖さぶるのにも論理を必要とする。 價値觀を搖さぶる目的は、ゆさぶつて、壞れるものなら壞さうと言ふのだ。なぜ壞すか。壞れるやうな價値觀は間違つてゐるに…
人の或態度を「正しい」と判斷するのは何故か――七鍵氏はそれを考へない。「或態度が正しいか何うかはアプリオリに解つてゐる事だ」とひたすら主張する。 しかし、或價値觀に照らして、或行動は「正しい」と言へるだけだ。觀念があつて、具體的な行動が判定さ…
七鍵氏は、「或場合にはさうであるけれども、必ずしもさうであるとも限らない」事を、「さうと限る」かのやうに言つて見せてゐるに過ぎない。 --- 一言で言つて、七鍵氏の主張は詭辯である。 http://www.7key.jp/diary/list/2009_10b_12_02 正義や因循といつ…
七鍵氏は、自分の主張に「哲學」は「ない」と言ふだらう。これまで散々皐氏を罵倒した七鍵氏の記事で、七鍵氏は、全て「具體的な例」を擧げるだけだつたからだ。そこに「論理はない」と七鍵氏は言ふ。だが、譬喩を用ゐてゐても、それを理解するのに人間は論…
「女が私に尻をすり寄せてくる」と云ふ七鍵氏の話は、ファッションの話でもなければ、自然現象の話でもない。七鍵氏は、價値觀を表明してゐる。書き手が價値觀を表明してゐる以上、讀み手・受け手は贊成・反對の意見を持つやうになる。 http://www.7key.jp/d…
相變らず、七鍵氏が何を怒つてゐるのか解らない。「道徳的な非難はファッションだ、と思つてゐる私に噛み附いてくるなんて、なんて非道い奴だ」? 目茶苦茶だ。 http://www.7key.jp/diary/list/2009_10a_06_02 なんでこのやうな例をいまさら擧げるかといふと…
七鍵氏は、「他人の或態度の良し惡し」を判定し、「惡い」と非難した。その非難にを皐氏が「獨善的だ」と批判した。さうしたら七鍵氏は「私が不特定の他人を『惡い』と言つて非難するのは自由だが、特定の誰かが私・七鍵を『惡い』と言つて非難するのは禁じ…
某ブロガー氏のところのコメント欄で「正字正かな」なる用語は「ない」と言はれた事があるけれども、その伝でなら「旧字旧かな」「新字新かな」も「ない」だらう。が、それらは「ある」。 何なんだらう。
http://www.7key.jp/diary/list/2009_10a_04_01 ここまでぐだぐだになると、Kirokuroではないが、哀れとしか言ひやうが無くなる。 私は、Suckyさんに對し、かなり腹を立ててゐます、下らない言ひがゝりばかりつけてくると私は感じてゐるので、お互ひにさうか…
http://www.7key.jp/diary/list/2009_10a_01_02 私の頭の中には、好んで見たくないと記憶されてゐるサイトがいくつかあり、なぜわざわざそのやうなことを言ひ始めるかといふと、その記憶にあるサイトからトラックバックを受けたから。題名と要約は目に入つた…
七鍵氏の考へ方はさつぱり解らない。 http://www.7key.jp/diary/list/2009_09b_15_01 正しい、正しい、正しいなんて、口でいふだけなら誰でもできることであつて。正しかつたか否かは、行つた結果に對して自身以外の誰かが下す判斷である。結果も殘すことが…
http://www.7key.jp/diary/list/2009_09c_30_01 ネットマナーとか「無斷リンク禁止」とか言つてゐる人間が、斯う云ふ非道い暴言を吐くのを見ると、やつぱり道徳的に問題があるからこそ=「自分が一番偉い」と思つてゐるからこそ、他人に「道徳」を要求し、他…
http://www.7key.jp/diary/list/2009_09c_29_01 世の中には、自分で「正しい」を判斷しなければならない場面などいくらでもあります。それら一つ一つに、誰もが認める「正しい」が存在するなどとの考へ方は、あなたの思ひ上りではありませんか。「正しい」を…
http://www.7key.jp/diary/list/2009_09c_29_01 仰られてゐる「正しい」とは、「1+2=3」のやうに、誰がどのやうに考へても明らかな正しさのことを例に擧げられてゐるに過ぎません。御存知ないかも知れませんが、説明のできる正しさとは、世の中にある問…
「現代仮名遣」は、或語について、「このように書け」と一方的に命令するものだ。使用者は、何者かによる命令に從ふ事になる。これを「大變良い事だ」と考へる人がゐる。しかし、なぜ「良い」かと言ふと、その命令者は、「自分」だと、その人は考へてゐるか…
http://www.7key.jp/diary/list/2009_09c_23_04 人間だれしも自分本位なものです、自分本位な感覺はなかなかゼロにはなりません。特に、意見といふものは自分本位のかたまりのやうなもので、それを、知人であれ親友であれ、見知らぬ他人であれ、ぶつける際に…
北原保雄・鈴木丹士郎・武田孝・増淵恒吉・山口佳紀編『日本文法事典』(昭和56年12月20日初版発行・有精堂出版)の「仮名遣い」の項に以下の記述がある。 「歴史的仮名遣い」は、契沖によってその基礎が固められた。契冲の仮名遣い観は、『万葉集』や『古今集…
進化論も唯物論も、事象に對する價値判斷として機能する。「○○は生存に適してゐたから勝ち殘つた」――勝ち負けの判斷は價値判斷だ。「××時代には支配者と被支配者が鬪爭してゐた」――勿論、鬪爭の結果、勝つべき側が「ある」と云ふのが唯物論の考へ方だから、…
爺氏は、大野晋氏・橋本進吉博士が、科學的な國語學を打立てようとしたから、其れ以前の一切の研究は全て一つの例外もなしに非科學的なものと看做してゐたに違ひないと、驚くべき粗雜な解釋をしてゐる。 先方のコメント欄にも書いたが、橋本博士や大野氏は過…
http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2009/09/post-13.html 既に自分が何を書いたかまるで忘れてゐるので、復習になつた。 --- 爺氏は、歴史的かなづかひとしての定家かなづかひと契沖のかなづかひが、規範として「作られた」と考へてゐる。けれども、實際…
http://d.hatena.ne.jp/Sucky/20090927/1253982192 http://www.7key.jp/diary/list/2009_09c_27_01 そして、斯う云ふ態度の惡い七鍵氏を支持するのが、矢張り態度の惡いKirokuro。類は友を呼ぶとしか言ひやうがない。
Kirokuroが、問題を起した擧句、責任逃れをする爲に「静観する」と言つた事は既に述べた。人のレトリックの揚げ足ばかりを取つてゐたKirokuroが、いざとなると自分はレトリックで逃げる、と云ふ大問題を起してゐる。 人は、言葉を飾るものだと言はれる。けれ…
取敢ずリンクを張る。 http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2009/09/post-12.html ・『岩波講座日本語1 日本語と国語学』P236「7日本語研究の歴史(2)--明治以降--」大野晉 ・『岩波講座日本語別巻 日本語研究の周辺』P299「9日本語学はなぜ成立しなかった…
爺氏は、「かなづかひの研究」とは「既に出來上がつてゐる規範としてのかなづかひを研究する事」だと思つてゐる。 けれども、私は、「文獻を通して日本語の表記の實態を明かにする事」がかなづかひの研究だと言つてゐる。規範を考へる爲の事前のリサーチの事…